2003年12月4日から2004年2月8日まで恵比寿の東京写真美術館で行われた、ファミコン20周年記念の展示会「レベルX」に行った時のことだ。入場料を払って入ってすぐの所に、宮本茂、堀井雄二、中村光一,田尻智、杉森健、中裕司、小島秀夫など、名高いゲームクリエイター達の代表作品が本人直筆の履歴書と並んで展示されており、その中に糸井重里もあった。
ゲームの展覧会なのだから糸井重里の代表作といえばやはり『MOTHER』だろう。あれは攻略本も素晴らしかった。そういえば『SUPER MARIO WORLD』の攻略本も糸井氏だったっけ? そんなことを考えながら並んだ作品を見ると、そこにゲームとは関係ない「不思議、大好き。」のコピーと『完本・情熱のペンギンごはん』がさりげなく前面に置かれていた。そうだよな、やっぱこれがなきゃ糸井重里じゃないよなと、ここにこれが並ぶことの意味を考えつつ、糸井氏のピークはやはりこの二つにあると思った。今回取り上げたいのはその漫画の方だ。
1980年6月に情報センター出版局から出た漫画単行本の題名である。原作をコピーライターの糸井重里が、作画をイラストレーターの湯村輝彦が担当。1993年7月にちくま文庫から『完本・情熱のペンギンごはん』が出た。「80年代的」とか「80年代を代表する漫画」という評を見かけるが、主な連載時期は70年代後半である。ただし80年代におきるヘタウマブームの先駆的作品ではあり、その意味では80年代的ではある。
その他、アメリカとフランスで『Passionate Penguin Tofu』という書名で翻訳出版された(『宝島』81年6月号に広告あり)。当時のアートシーンはニューペインティングが流行の兆しを見せており、湯村は海外では「センセイ・オブ・ヘタウマ」として紹介されていたようだ。
行き当たり場当たりなストーリー展開なのでこれといった話はない。忍者やカウボーイと戦ったり、食事中にウンコの話をしないようにパパが注意したり、そのパパがことごとく殺されたり、その家族がペンギンを虐待したりする。あえて言うならば、むきだしの陰茎を持つペンギンが話を進めるごとに原形をとどめなくなり、とにかく勃起した陰茎だけが主人公の目印となる様子が印象的な作品である。
以下タイトルと掲載誌を書きおこす。このうち「昼顔ケーキ」以降は'80年の最初のコミックには収録されず、'93年の『完本』の方に収録された。
単行本にあって文庫本にないものは以下の通り。
文庫本になって単行本にないものは以下の通り。
漫画におけるパンクだったからである。写実的であることがもてはやされ漫画全体が行き詰まっていた70年代に対する「下手でも絵を描いていいのだ」というプリミティブな運動がヘタウマだった。ペンギンごはんはその元祖であり金字塔なのである。
湯村輝彦は70年代前半に『男の雑誌 NOW』で漫画を描いていたことがあり、ペンギンごはんが最初の漫画作品ではない。ただ湯村氏が漫画に明るかったかというとそうでもなく、『ガロ』を知る前は杉浦茂しか見てなかったという。糸井氏と湯村氏の出会いは、湯村氏が矢吹申彦・河村要助と組んだイラスト集団「100%スタジオ」('70年結成、'74年解散)が作成したポスターにのせるコピーを糸井氏に依頼したことがきっかけとなっている。
糸井・湯村コンビの初仕事は『さよならペンギン』('76年・すばる書房)という絵本だ。内容はペンギンが色んな動物と出会って別れる(さよならーと飛んでいくからさよならペンギン)だけのシンプルな作品で、この無垢な主人公の強さがのちの「ペンギンごはん」の原型となっているのは間違いない。この絵本の制作秘話が雑誌『月刊・絵本』の別冊に収録されていたと思うが、手元にないので確認できない。
さて当時の『ガロ』は南伸坊の「面白主義」方針により、新しい風を引きこもうとしていた時期だった。南氏は『NOW』の湯村漫画を見て、これまで別々に考えられていたイラストレーションとマンガの境界線が曖昧になっているのに強い印象を受け、湯村氏に漫画を依頼したという。湯村氏の言葉を引用する。「俺の漫画が載ることで、せっかくガロが築いた白土三平さんやつげ義春さんのイメージを、ガタガタにぶち壊しちゃったということは責任問題だな」
「ペンギンごはん」に影響を受けた漫画家は多い。『ガロ』1995年7月号の「ガロ名作劇場39・ペンギンごはん」に寄せられたコメントをいくつか拾ってみよう。
“これならオレにも描けるかも!?”という勇気と、描き始めると“絶対、オレには描けない!!”という失望を与えてくださりました(みうらじゅん)
「ペンギンごはん」はすごかったぞ。まさに歴史的なイッパツで、あれ、その後世の中でんぐりかえした「ヘタウマ」のオープニングであった。(しりあがり寿)
恥ずかしい根っ子の会から送られてきたニタリ貝の大模型が泣き震える箇所なんて、超問答無用。(友沢ミミヨ)
世界のあらゆる本の中で、10冊の中に間違いなく入ります。(花くまゆうさく)
一コマ一コマが一枚のイラストを描くのと同じエネルギーを消費している。だから普通の漫画よりも割高料金を取らないといけない。見る方はそれだけ贅沢な読み方ができる。今読み返しても、ペンギンごはんはまだまだ美味しい。(川崎ゆきお)
オイはね、漫画で一番ショックをうけたのはつげ義春さんの「ねじ式」で、二番目が「ペンギンごはん」なのね。あんな漫画は誰も思いつかないよ。(蛭子能収)
僕はファンシーとファンキーを合わせ持っているような絵本を描きたいと思っていたけれど、「ペンギンごはん」はまさにそれで、ファンシーとファンキーが合体した最終地点だと思います。(安斎肇)
特に根本敬はことあるたびにこの漫画について描いている(気がする)。『STUDIO VOICE』誌のマンガ特集号('93年11月号)の紹介を引いてみよう。
ハタチ位の頃、漫画家になろうとかそんな欲はなかったものの、とにかく「ガロ」が好きで、自分も「ガロ」に参加したいという気が強かったのだが、「ガロ」の王道ともいうべき、つげ義春、林静一、鈴木翁二(敬称略)の様な漫画は自分には描けなかった。
そんな時に登場したのが糸井重里・原作、湯村輝彦・絵(敬称略)による「ペンギンごはん」シリーズであった。
「ペンギンごはん」は死ぬ程下らない漫画だったが、その抜けの良さは類がなく、下らなくあると同時に暴力的であり、破壊的であり、存在するだけで、それ以前に登場した総ての漫画(但、杉浦茂は例外)を馬鹿にしている様ですらあった。
「俺が求めていたモノはこれだ!」と膝を打ち、そして「ガロ」に今みたいな漫画を持ち込み現在に到るのだが、俺にとって「ペンギンごはん」は当時のロックの方の人々におけるセックス・ピストルズの様なもんだ。
ボアダムズのEYEも昔「古本屋でペンギンごはんを見つける夢を何度見たことか」と描いていた(見つけたら出典書きます)。とにかく、80年代を始めたのは「ペンギンごはん」なのである。
現在単行本も文庫本も両方とも絶版のため、手に入れるのは難しい。前者は古本屋では1000〜2000円でたまに見かける。文庫はプレミアはついていないが(500円前後)、なかなか出回っていない。地方に住んでいる人は図書館をくまなく探すか、復刊ドットコムで票が集まるのを気長に待つか……もし貴方が未読だとして、21世紀のいま読んで面白いかは責任を持たない。