総指揮監督・近田春夫、監督・手塚真。日本で一番ストレンジなミュージカルにして、漫画家・岡崎京子に「この映画を観ていなかったらマンガとゆうモノを今かいていません」とまで言わせた『星くず兄弟の伝説』についての基礎資料を載せておきたい。
ドジで短気でお人好しのシンゴ(久保田しんご)と、毎週金曜日、ツバキハウスでDJをやっているロックンローラーのカンちゃん(高木一裕)の二人は、ライブハウスで活躍中のミュージシャン。おしゃれな少年少女に絶大なる人気を誇っておりました。
そんな彼等に目をつけたのが、流暢な英語で勝負する音楽業界名うてのプロデューサー、アトミック南(尾崎紀世彦)。二人を売り出そうと一万円札(旧)をちぎっては投げ、ちぎっては投げ……強力なプロモーション大作戦。思惑にうまくはまって二人は「あっ!」という間に大スター。その名もスターダスト・ブラザース。
スターになればこっちのもんだとばかりに実力も顧みず遊びまくる二人。おかげで「あっ!」という間に人気は下がり、いつのまにやら落ち目の連続ヒット!
そんな二人にかわってスターダストのファン・クラブの会長をしていた、カワイイ!カワイイ!マリモちゃん(戸川京子)がスターになっちゃった。
一方、マリモの仕掛け人でもある南はその手腕をかわれ、政治家とつるんで芸能界を媒体に何やら世間に黒い手を……。
また、二人にかわってスターの座についた虹カヲル(ISSAY)は、美しい顔とはうらはらに陰湿で屈折したヤな性格。これがマリモに惚れちゃったからサア大変。
ケナゲに一からやり直しを決意した二人は、ヤバイとばかりにマリモを連れてアトミック・プロダクションを逃げ出した。
追うは虹カヲル私設ギャング団! 逃げるはスターダスト・ブラザースとマリモ。追いつ追われつ代活劇! そして政治家の陰謀に巻き込まれていく芸能界……。
はたしてスターダストの二人とマリモの運命は如何に……?
「星くず兄弟の伝説」と題されたこの映画は、往年のハリウッドに、そして我が日本にも存在していたミュージカルを現代向きに再現し、恋や夢や冒険といったあらゆる要素で飾りつけ、スラップスティックな青春コメディーとして仕立て上げた、若者による若者の為の超エンターテインメント・SF・ロックミュージカルである。 音楽を主体とするその映像構成は、今までの邦画界では全く観られることの無かった“ノン・ムーヴィー”として、カテゴライズされて然るべき作品なのかもしれないが、この「星くず兄弟の伝説」は、単なる“ノン・ムーヴィー”のジャンルに止らず、スピーディーなストーリー展開の内に、特殊メイクやアニメーション、カー・チェイス等をふんだんに盛り込んだ画面展開と相成って、第一級のニュー・スタイルな娯楽ムーヴィーとして成立している。
制作総指揮・音楽監督を務める近田春夫、監督・脚本の手塚真という、今、音楽・映像の分野で最も才能を発揮し話題になっている2人を中心に、出演者も85年の台風の目とも言うべき東京のライブ・ロック・シーンではお馴染みのミュージシャンを始め、多くの有名文化人、俳優、タレントが大挙して全面的に参加している。
「星くず兄弟の伝説」は、元々はミュージシャン/歌謡曲評論家の近田春夫が、1980年10月25日に“架空のロックミュージカルのサウンドトラック”として発表したロックアルバムだった。それを五年後に当時大学生の手塚眞を監督にむかえて、実際に映画化('85年6月公開)したのが本作である。
誰もがダサい・古いと考えていた歌謡曲を、ロックと同じ文脈でとらえ直した『ハルヲフォンレコード』('77年9月)、新旧の歌謡曲を全てパンクアレンジでカバーした『電撃的東京』('78年6月)、筒美京平をはじめとする職業作家を作曲・編曲に、ブレイク前のYMOをアレンジに起用し、歌手業に専念した『天然の美』('79年5月)と、傑作を連発した近田だが、売上げは伸びず、ミュージシャンとしてよりも歌謡曲評論家として人気を集める結果になった。
その状況を打破しようと、'79年9月に結成したのがバンド「近田春夫&BEEF」である。しかしそのままデビューすることはなく、近田はBEEFを「ジューシィ・フルーツ」と改名し独立させ、シングル『ジェニーはご機嫌ななめ』('80年6月)でデビューさせる。当時流行していたテクノポップ風のこの曲の大ヒットにより、近田は「ジューシィ・フルーツのプロデューサー」として注目をあびたが、本人はかつての批評精神溢れるハルヲフォンやソロ作品を無視され、その路線を甘口にしただけのシングルが売れてしまったことが不満だったようだ。
ジューシィ・フルーツが売れたことによる複雑な心境は、やがて近田を原点に帰らせる。BEEFやジューシィ・フルーツというバンド名の元ネタであり、かつ大フェイヴァリットな監督ブライアン・デ・パルマの映画『ファントム・オブ・パラダイス』('74)に描かれていた音楽ビジネスの闇の世界観と、自らが追い続けた歌謡曲やロックを“架空のロックオペラのサウンドトラック”という形で結びつけたのが、アルバム『星くず兄弟の伝説』('80年10月)である。
近田が考えていた星くず、つまり「スターのくず」の発想のベースとなったのはピンクレディーだ。2ndシングル『SOS』('76年11月)から、'78年12月の『カメレオン・アーミー』まで9作連続一位となるものの(「♪あっという間に一位の連続ヒット」)、その後アメリカ進出などでメディア露出が減り人気は低下、81年3月に解散。『星くず兄弟』が発売された80年10月から二年前が人気のピークだった(「♪二年前の話さ」)。 他の収録曲も“芸能界”に対する嫌悪感が表れており、例えば「クレイジー・ゲーム」ではアリスの「ハンド・イン・ハンド」(隣の人と手を繋ごうという呼びかけ)運動をコケおろし、「オートマチック」ではジャニーズの同性愛について揶揄した。当時あったソ連が日本に攻め込んでくるという噂は「ガソリンの雨」に込められている。
タイトル曲でもある「星くず兄弟の伝説」は中村雅俊主演の映画「刑事珍道中」の挿入歌となり、シングルカットもされているが(作曲者は近田ではなく当時FILMSの赤城忠治)、全体としては「ジューシィ・フルーツのプロデューサー兼タレントの余技」として話題にならずに終わった。野心作を無視された近田は、このアルバムを最後に“ロック”と決別。タレント廃業を宣言し、元祖ヒップホップ・ビブラトーンズへと転向することになる。
「漫画の神様」手塚治虫の長男、という説明はもはや不要な有名映画監督もといビジュアリストである手塚眞の、劇場用映画第一弾がこの『星くず兄弟の伝説』だ。
手塚が映画を撮り始めた当時は、ちょうど70年代後半の自主制作映画ブーム、具体的には1976年の石井聰亙監督『高校大パニック』('78年に日活がリメイク)をきっかけに学生の間に広まった、インディーズムービーの流行の真っ只中にあった。成蹊高校映研時代の処女作『Fantastic★Party』('77年)をはじめ、'79年の『UNK』、'81年の『High-School Terror』と立て続けに撮られた8ミリ映画は、そのどれもが映画コンテストに入賞して“10年に一人の天才”と評価された期待の新星であった。
その後、「まだ若いと思ってるあなた、10代の感性についてこられる?」のコピーが時代を感じさせる『MOMENT』('81年)や、初の16mm長編『SPh』('83年)などを発表し、テレビ東京「もんもんバラエティ」で自作8mmコーナーを担当、'84年にミュージシャン・イコシンのPV作成など順調に話題を呼んでいた手塚が、近田の呼びかけに参加して監督を務めたのが本作である。撮影はたった二週間だったという。
ちょっとした映画ファンなら、かつてベストフィルムに『ヘルハウス』('73年)を挙げていた手塚が小さな頃から好きだったという、ホラーやSFX映画の影響を見つける事が出来るだろうし(手塚はスピルバーグとベイルマンの二人を最終的に支持している)、主人公達がファンに追いかけられるシーンからリチャード・レスター(『ビートルズがやってくる・ヤア!ヤア!ヤア!』『HELP! 四人はアイドル』他)を連想することもできるだろう。しかしこれらはパクリというよりも、偉大なる先人達が作ったパターンを踏まえたパロディだと言えるし、1000カットを越える「星くず」の映像の編集は、デ・パルマの手塚流解釈だと思われる。手塚によるデ・パルマ評を引用しよう。
映画のテクニックとは、内容を伝えるために必要とされるというのが映画における一般常識ですが、ことデ=パーマ映画の場合は少し違います。テクニックそのものがメッセージにも表現にもなるのです。だから彼の初期のフィルムをみると、頭から終わりまで、およそ考えられる映像のテクニックですべて埋まっている。即興演出、ジャンプ・カット、コマ落とし、スローモーション、静止画、画面分割、逆転撮影、クローズアップ、8ミリフィルム、16ミリフィルム、モノクロ、カラー、サイレント映画……。まるで映画の博物館かショー・ケースかといった趣ですが、それはいずれも使うべくして使われているのです。
映画のなかで効果を出すために使う、ということではないみたいです。ひとつのショットに対しては、それに対応できる表現があってしかるべき、というのがデ=パーマの発想法なのでしょうか。極端にいえば、ワン・ショットがひとつの映画で、それがたくさん集まって、なんとか一般的な映画の形を整えている、といったようなものです。(略)
『ファントム・オブ・パラダイス』はゲーテの『ファウスト』とガストン・ルルーの『オペラの怪人』という二大古典をベースに創作された物語です。デ=パーマが学生時代に作ったモノクロの16ミリ映画『Wotan's Wake』は、多くのクラシック・フィルム、たとえば『キングコング』や『オペラの怪人』のイメージを寄せ集めたようなシロモノで、意図的に古めかしい、サイレント映画のようなスタイルを持たせていましたが、『ファントム・オブ・パラダイス』はまさにそのイリュージョンを増幅させ、劇場映画としての完成度を高めたものでした。物語の設定を現代(もっとも70年代ですが)におき、ロック、ドラッグ、セックス、ニューハーフ、ビデオ、エレクトロニクス、オートメーション・システムといった現代的な道具をそろえながらも、きわめて古式豊かな、まるでサイレント映画を想わす演出で画面を構成し、それを再び現代的なリズムにのせてつなぐという離れ技をみせてくれたのです。
近田はアトミック南とシンゴとカンの三人だけの、もっとドロドロした「どうしようもない絶望感」をイメージしていたようだが、手塚はそこにマリモやカヲルといった賑やかな要素を付け足して、「若者特有の誰にも媚びていない若者の為の若者の映画」という青春ストーリーに仕立て上げた。最後にアトミック南が歌う壮大なバラードも手塚のアイデアによるものだ(なお出演している多数のゲストは近田の人脈)。台詞・音楽・BGM・SEなどの音のバランスを最終的に決めるダビング作業は、六本木シネヴィヴァンで行われた。この実際に映画館で音響を確かめるというのはジョージ・ルーカスの真似で、日本初である。
本作は一見80年代っぽさが鼻につく映像、実際撮影当時の同時代性を十分意識した作り方ではあるが、よく観ればそこに描かれているのは「熱」である。「クール」で冷静で知的なものがもてはやされた80年代に一番嫌われていたはずの「熱さ」「ダサさ」が、主人公達から発せられ、この映画を二〇年経った今でも本質が色あせない傑作にしているのだ。よく“日本のカルトミュージカル”という肩書きで『スーパーカミング』と並んで紹介されるが、『星くず兄弟の伝説』が『ファントム・オブ・パラダイス』なら、『スーパーカミング』は『ロッキー・ホラー・ショー』である。判ったらさっさと観なさい。
もし『星くず兄弟の伝説』に興味を持ったならば、以下の関連物を探してみるのもいいだろう。『よい子の歌謡曲』など雑誌記事は保留。
映画批評で、よく巷の評判や客の入り具合に左右されて評価の変わってしまう評論家がいる▼かと思えば、評論家の意見に惑わされて自分の感想を偽ってしまう観客だっている▼近頃評判の作品を人込みにもまれながら見たのにガックリしてしまったり、反対に全く話題にもならなかった映画が傑作だったことを発見したり▼『星くず』はどう受けとめてもらえるのだろうか。