『日本のZINEについて知ってることすべて 同人誌、ミニコミ、リトルプレス 自主制作出版史1960〜2010年代』(誠文堂新光社)

一般情報

題名 日本のZINEについて知ってることすべて 同人誌、ミニコミ、リトルプレス 自主制作出版史1960〜2010年代
編著者 ばるぼら+野中モモ
出版社 誠文堂新光社
ISBN 978-4-416-51767-3
初版発行2017-11-10
定価 本体2,600円(税込2,808円)

入手方法

全国の書店で購入可能ですが、大きい本屋でないと売ってないとの情報もあります。ウェブ上からは以下のサイトで購入可能なようです。

目次

外部紹介

その他、Twitter上の反応は『日本のZINEについて知ってることすべて 同人誌、ミニコミ、リトルプレス 自主制作出版史1960〜2010年代』 - Togetterまとめに順次集められています。

修正情報

初版に下記の間違いがありました。お詫びいたします。

内容紹介(オンライン書店用)

デザイン誌『アイデア』での同名人気連載がついに書籍化!

これまで国内で自主制作されてきたZINE(ジン/同人誌、ミニコミ、リトルプレス)を総括する初の試みとなる本書では、日本のZINE文化に詳しい著者陣が、年代とテーマごとに資料を分類。制作時の状況や成り立ちを丁寧に解説していく。そのほか、各年代のZIENをめぐる状況をよく知る人々へのインタビューを収録するなど、貴重資料が満載。

連載記事の内容に加えて、未収録資料や年表などの新規資料を追加し、1960年代から現在に至る日本のZINE文化を豊富な資料と証言、ビジュアルによって振り返る年代記。

コメント

野中モモさんとの初の共著です。『アイデア』の連載をまとめた書籍としては赤田祐一さんとの『20世紀エディトリアル・オデッセイ』に続いて2冊目です。『20世紀〜』の続編的な読み方もできるし、まったく別の本にも見えると思います。

デザイナーの千原航さんが多摩美でもっていたゼミ「現実」で、毎年ゲストを呼んで講義をする季節があり、2009年11月にワタシと野中さんがZINEの先生役で呼ばれました。二人でZINEについて公で喋ったのはその時が最初だったかもしれません。この講義はおおよそ毎年行われ、2015年まで続きました。この授業のときに配布していたプリントが、最初の章「ZINEのABC」や付録「ZINE MAP」に使われています。

「ZINE」という言葉が日本で流行した際に生じた誤解をまず解くこと。それが最初の使命でした。誤解とは「ZINEはアーティストが作る少部数の印刷物」「ZINEのはじまりはスケーターが作ったもの」という話です。前者はアーティストブック(artists' book)とZINEを混同してしまっており、後者は単に間違いです。流行した際に説明を書いた人たちがことごとく間違えていたので、それが未だに参照されたりします。そういう広まってしまった誤解を、この本では逐一解いていきました。

各論で見れば、「あれが載ってない」というのは無数にあると思います。この本は電話帳ではありませんし、図鑑でもありませんから、すべてをフォローする気はなく、あくまで自分たちの興味関心の範囲で大事だと思うもの(かつ、入手可能なもの)を取り上げていきました。著者二人がもっとも大事にしているのは「自主的に/主体的に、企画編集からデザイン印刷まで、全行程に取り組んでいる」姿勢があるか否かです。一言でいえば「DIY精神」の有無です。たとえば有名人が責任編集者として表に名前を出しているけど、実質的な編集は他人任せで、派手なところだけ噛む、印刷とかは興味ない、みたいなケースはまず載せません。そういうのはDIYではないと思うからです。もちろん本書には有名人が作ったものも載っていますが、それらは当時は有名じゃなかったか、自ら制作に主体的に関わっているか、そのどちらかです。そしてのちに有名になったか否かはそもそも問題ではありません。メディア上で取り上げる際は「あの有名人の無名時代の作品!」というのはキャッチーなので、そうやって取り上げるのもワタシはありだと思いますが、ZINEの本質はそこではありません。その印刷物に心が動かされるか否かです。この本を読んで、著者が考える「ZINE」「DIY精神」とは何か、が伝わるといいのですが……。

それとは別に、本書は雑誌連載をベースにしており、数ヶ月おきにやってくる雑誌の締め切りにあわせて掲載するZINEを選定していたため、家のどこに置いたかわからないZINEや、ページ数の関係で載らなかったZINEなどがあります。そういう中にも大事なものはいっぱいありました。もうどうしようもないですね、あれが載ってないこれが載ってないという問題は。

はたして世の中にこれまでどれだけのZINEが生まれたのでしょうか。一例として、コミックマーケットは一回開催するごとに3万以上のサークルが参加しており、年2回開催ですから、単純計算で毎年6万冊の新刊が出ていることになります。コミティアは一回で5000サークル。年4回なので毎年2万冊の新刊が出ています。いま全国では同人誌即売会やZINEイベントやらはほぼ毎日行われています。それぞれにまあ少なくとも30〜100サークルは出ていますよね。こうやって足していくと、途方もない数字になることがわかると思います。誰も全貌を把握できません。恐ろしい文化です。だからこれがZINEのすべてだ、とは言えません。言えるのは、これがワタシたちが日本のZINEについて知ってることすべてだ、ということだけです。

ボーナストラック:ローカル新聞とミニコミ誌の誕生

※禁無断転載。この文章は連載時に掲載されましたが、単行本には掲載されていません。一部表記修正があるので引用する際は雑誌『アイデア』372号を御覧ください。

「ミニコミ」という単語はどのように生まれたのだろうか。もちろん先に「マスコミ」があった。敗戦後の日本がアメリカの占領から解かれたのはサンフランシスコ講和条約が公布された1952年4月28日。それ以前からマスコミは言葉だけ先に輸入され,『世界評論』1950年1月号の座談会「二十世紀思想の性格と展開」で鶴見俊輔が「マス・コミュニケイション」を議題に出し,井口一郎が『マス・コミュニケイション どんなふうに大衆へはたらきかけるか その理論とその実証』(光文社,1951年)を出版したのを先駆けに,戦後の民主主義は「大衆マス」が中心の時代であると予測されていた。

1951年9月に初の民間の商業ラジオ放送が,1953年2月にNHKが初の地上波テレビ放送を開始し,戦後日本における「大衆伝達」がいよいよ具体化する。「レジャー」や「消費革命」といった言葉が踊る時代に,マスコミ論は本格化していく。それは大衆操作の技術としてのマスコミに対する危機感の表明でもあった。ラジオとテレビによって「一億白痴化運動」が展開されていると大宅壮一が論じたのは『週刊東京』1957年2月2日号。経済企画庁が「もはや戦後ではない」と宣言した約半年後のことである。

マスコミが猛威を振るう一方で,いよいよ台頭しはじめるのが小さな伝達手段である。最初にマスコミに反発したのは文学者だった。マスコミが「大衆」を相手にするあまり,才能や個性が削られることに危機感を覚え,書きたいものを書くための場として,小さな雑誌を発刊する動きが1958年前後から盛んになった。鉢の木会『声』,記録芸術の会『記録芸術』,現代批評の会『現代批評』をはじめ,第二次『文学者』,第四次『三田文学』の復刊などはその目立った例である。この動きに注目した『図書新聞』は1958年7月19日号で「ミニ・コミ時代」という特集を組み,〈一言でいえば,マス・コミがそれらスター達に求めている“商品”と,スター達がマス・コミに持ち込みたいと思う“芸術”との間のズレがはっきりし始めたのだろう。これが,文学者たちの間にミニマム・コミュニケーションの形をとった同人誌ブームを生んだのではないだろうか〉と一面で取り上げた(執筆者は編集部の鈴木利夫)。

ミニマム・コミュニケーションの必要性は文学だけでなく思想やジャーナリズムの世界でも説かれた。先立って,鶴見俊輔らの思想の科学研究会は1956年4月から『中央公論』誌上で「サークル雑誌時評〈日本の地下水〉」の連載を開始(1960年より『思想の科学』誌上)。日本全国の同人誌を積極的に紹介していたが,とくに注目は『思想の科学』1959年11月号掲載のジャーナリストの高知聡による投稿論文だろう。高知はその文中で地方のローカル新聞に注目,中央集権的な政治体制への批判的意識から地方自治を重視し,自治体単位のミニマム・コミュニケーションの必要性を説いた。これは翌年の1960年6月17日に東京の新聞社七社が共同宣言を発表し,時の権力に迎合しマスコミへの不信を招くことを予言したかのようだった。

安保闘争の敗北をうけ,思想家の清水幾太郎は1960年9月3日に現代思想研究会を結成,巨大化するジャーナリズムに対抗する市民記者の役割を強調する「マイクロ・ジャーナリズム」を宣言する。同会は1961年に『現代思想』を7号出したあと解散するが,問題意識を持った思想家が個人的に雑誌を出すという実践のあり方は,竹内好らの『中国』(中国の会)をはじめ,小さくない影響として見逃せないものがある。

こうした小さなコミュニケーションの時代が到来している日本の状況について,『文学』(岩波書店)1961年6月号はこんな疑問を挟む。〈マイクロ・ジャーナリズムとか,マスコミに対する“ミニコミ”が重視されなければならぬ事態は何を物語るのであろうか〉(松岡洋子「加害者意識と被害者意識と──A・A作家会議東京大会について──」)。それは中央集権的な政治やマスコミへの不信感,および安保闘争敗北への反省だっただろう。

『思想の科学』は1962年に約半年間「非マスコミ・コミュニケーション時評」を連載,『現代の眼』(現代評論社)は1963年から「ミニ・コミ」と題した小雑誌の紹介欄を設けるなど,マスコミではないメディアへの言及は次第に活発化する。そして『思想の科学』1966年3月号で,田村紀雄・仲村祥一・西浦義道らの連名で「ミニコミとはなんだ 私たちの立場と考え」が発表された。ここで試みられたのは刻一刻と変化を続けるミニコミの定義付けであり,その性格として「無名性」「切実性」「単機能性」「非マスコミ性」「非デラックス性」「反平均性」「反泰平ムード性」が挙げられている。この頃にようやくミニコミは定義が必要なほど一般化したと考えられる。ミニコミは70年安保に向けて一層拡大していった。

見てきたように「ミニコミ」とは1950年代後半から1960年代前半にかけて,マスコミへの不信を出発点に広まっていった言葉である。『中国』1967年2月号で鶴見俊輔が,竹内好との対談の中で,ミニコミという言葉を使ったのは荒瀬豊か清水幾太郎ではないかと推測しているけども,その後の号で荒瀬は自分ではないと否定している。また,清水もミニコミへの言及に積極的だった様子はない。いずれにせよ,ミニコミとはマスコミではないメディアが求められた時代の産物だったといえる。


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最終更新日:2017年11月17日